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P.I. リコルド(1776-1855)

 ロシアに帰化したイタリア人の軍人の子と して、タローペツに生まれた。1807年に ゴローニン艦長のもと帆船ディアナ号で 世界周航の航海に出た。
 千島列島沖での地理調査中、クナシリ島 で、水、食料補給の交渉のため艦長以下7名が上陸したが、数年前にフォボストフ等が行った北方海域での一連の蛮行事件に神経を尖らしていた日本側に捕らえられてしまう。

副艦長リコルドは、その消息を聞き出すため、翌1812年、高田屋嘉兵衛の乗る日本船観世丸を拿捕、カムチャッカへ連行する。
ふたりは同じ部屋で寝起きし、「一冬中に二人だけの言葉をつくって」交渉、この 両者の信頼関係が、遂にゴローニン釈放にいたる両国の和解を成し遂げた。

ペトロパブロフスクカムチャッキー

リコルドの書によってヨーロッパ諸国へ 紹介された高田屋嘉兵衛の肖像画。 (「対日折衝記」)

帰国した後、ロシア皇帝の勅旨によって 書かれた彼の「対日折衝記」は、ふたりの交渉の過程を活き活きと描いている。
海軍大将、クロンシュタット防衛司令官等を歴任したが、日露和親条約の結ばれた1855年に亡くなった。
リコルドが嘉兵衛に抱いた友情は、終生変わらなかった。
ロシア革命までサンクト・ペテルブルグに現存した彼の墓碑には、「日本」の文字が刻まれていたという。

晩年のリコルド