高田屋嘉兵衛の顕彰活動 「菜の花の沖」淡路島ロケ

番組が終わったときに、「嘉兵衛は竹中しかいない」ときっといわせてみせます。

都志本村(つしほんむら)の貧農に生まれた嘉兵衛は、 十三歳の時から、口減らしのために 隣在所の新在家(しんざいけ)にある親戚筋の店、和田屋喜十郎(わだやきじゅうろう)宅に奉公に出る。 新在家の若衆(わかいし)はよそ者の嘉兵衛を 目の敵にした

本村(ほんむら)と新在家(しんざいけ)の村境―逃げる嘉兵衛。追う新在家の若衆(わかいし)。見つめるおふさ。

五色町都志八幡神社で行われたロケの1シーン。同社には、弟たちが兄嘉兵衛のロシアからの無事の帰還を祈り、願いがかなえられたのを感謝して寄進した「随身門(ずいしんもん)」という神門があります。

出番を前にちょっとおすまし、五色町の名優(?)たち。番組でみかけたら応援してね。

八幡宮のそばの山にある野小屋。 村八分にされた嘉兵衛に、新在家 の若衆のいやがらせは続く。身の危険を感じた嘉兵衛は、島抜けを決意した。

まるで祭りのような騒ぎだ。 都志の浦に碇(いかり)をおろした 大船「辰悦丸(しんえつまる)」 白帆があがる。 歓声があがった。

二十八才の時、嘉兵衛は当時としては 最大級である千五百石積の北前船 「辰悦丸」を建造する。 念願の船持船頭(ふなもちせんどう)になった嘉兵衛は、裸一貫で飛び出した郷里に凱旋した。

〃素敵な日本人〃

NHKエンタープライズ21 ドラマ部エグゼクティブ・プロデューサー
吉川 幸司

「歴史に学ぶ」という言葉があります。平たく言えば人間を学び、世の中を学ぶという意味なのでしょう。 その意味で歴史はまさに生きた教材と言えます。そしてもうひとつ、歴史との向かい合い方に、その時々の「時代 を超えた」日本人の姿を見ることで、新しい世紀に向かう自分たち の指針にするということがあるように思います。その意味で言えば、 江戸時代にあって、一介の商人でありながら、日露の国境紛争を体 当たりで解決した高田屋嘉兵衛の人となりは、ともすれば自信を失いがちな現代の日本人(自分も含めてですが)に、自信と、日本人 であることの誇りを与えてくれるような気がします。 言葉の通じない異境にあって、「心」で日本の論理をロシアに説き、ロシアの論理を「心」で聞いたことが、嘉兵衛をして、この偉業を達成させた原動力とすれば、21世紀に向かおうとしている私たちにこのドラマは、多くの示唆を与えてくれるに違いありません。(本文は、NHK番組広報資料より転載させて頂きました。_( ._. )_ ))

嘉兵衛の交渉相手となったリコルド提督子孫から番組への応援メッセージ

番組放映にあたり、1999年に来日したリコルドのご子孫より応援メッセージが寄せられました。

親愛なる竹中 直人様、セルゲイ・ワルチェック様、あなた方の高邁な創作活動が大きな成功をおさめるように願っています。 あなた方の事業が幸運にめぐまれたものであり、もし苦労があるとするならば、創造の苦しみだけ でありますように。あなた方の間にも高田屋嘉兵衛とピョートル・リコルドとの友情と信頼関係ができ上がることを願っています。それが創作活動のために必要不可欠のものであるから です。

嘉兵衛もリコルドも、知性、教養、名誉ならびに自国民の最良の伝統を身につけており、そうした二人の協力が、解決できないと考えられていた紛争を解決することを可能にしました。 避けられない戦争というものはなく、二人は、実りある平和関係の前例をつくってくれました。あなた方の協力が創作において大きな成功をおさめることを、そしてその成功が視聴者を満足させるばかりでなく、日露両国民の間の友情を深めるのに寄与することを願っています。
アナトリー・チホツキー
ピョートル・リコルド6代目子孫
サンクトペテルブルグ
2000年3月9日