>
高田屋顕彰館の「ペトロパブロフスクカムチャツキーにおける高田屋嘉兵衛とピョートル・リコルド」像の作者のお一人である、マクシモワさんから、カムチャツカの「カヘイ岩山」命名に対して、ご祝辞をいただきました。

 

尊敬する日本の皆様!

 地名にロシアや日本の立派な、傑出した人物の名前を冠することを、私はもちろん素晴らしい出来事だと思います。
私はこの発想がA.I.チホツキー氏(リコルド子孫)やP.A.ゴロヴニン氏(ゴロヴニン子孫)によって、サンクト・ペテルブルグ
で催されたロシア地理学会の会議の席で提起されたことを存じていました。これは素晴らしい発想でした。
 この発想が熱烈な反響を呼び、それが実現しましたことに私は喜びを感じます。心からお祝いを申したく思います。
同時に、現在にいたるもロシアと日本にとって遠い過去の出来事のもつ重大な意義を理解し、これらの出来事を記憶し
続け、この記憶を次の世代につなぎ伝えようと努めている人々がいることに、私は嬉しさを感じております。

 私の個人的な制作活動について申せば、過去と現在の露日関係が重要な地位を占めております。五色町と
クロンシュタットにある「高田屋嘉兵衛とピョートル・リコルド像」の記念彫刻作業のあと、『プチャーチン提督の使命』
―露日第一次友好条約の締結というテーマの仕事をして参りました(サンクト・ペテルブルグにある海軍歴史博物館で
作品の展示会が催され、図録が出版されました)。
  2007年には個展開催のためウラジオストックに旅し、そこで歴史学者らと共に、私の祖父の兄弟に関する資料を
収集しました。我国の極東地方で、村落、川、それに岬に彼の名前が冠されています。「マクシモフカ川」、「マクシモフ岬」、
そしてチェレイ市では、図書館に彼を記念してその名前が冠せられています。アレクサンドル・ヤコブレヴィチ・マクシモフ
(1850-1896年)は海軍大佐で、サンクト・ペテルブルグに生まれ、数年間極東に勤務しました。彼はまた遠い地方を
題材に本を書いた文筆家でもありました。日本にも出かけたことがあります。彼は公刊した論文の中で、ロシアと日本の
緊密な友好関係確立の必要性を訴えました。その中で貴国のことを高く賞賛しています。

 なんと固く結びついていたのでしょう!日本とロシアは過去も現在もなんと共通性をもっていることでしょうか!
そうではありませんか。

私のことを覚えてくださっている日本の皆様に、どうぞ私の心からの挨拶をお伝え下さい。
皆様にとって、今年も良い、実りある年であることを衷心より願っております。

2008年1月15日

ナターリア・マクシモワ

〔訳者注1〕
ロシアでは芸術家や学者は特に夫婦別姓が多く、マクシモワさんの夫の姓も別です。

〔訳者注2〕
手元にあるソ連邦大地図帳(1983年刊)によると、「マクシモフカ川」はハバロフスクの東南方、
ウラジオストックの東北方にあり、日本海に注いでいます。文中にある「チェレイ市」は、この地図帳によると
マクシモフカ川の川口から西南約150キロにあり、日本海に面した寒村です。

(日本語訳は、大阪外国語大学名誉教授、山口慶四郎先生にお願い致しました)